2012/02/14

7 時代とともに

ウーゴは数々のミュージシャンの中でも、かなり成功した経歴を持っている。特にハーモニカ奏者としてであればトップクラスといえるのではないだろうか。もちろんその希有な演奏技術あってのことだが、同時に時代もウーゴの味方をした。

ウーゴは後にタンゴの演奏でも脚光を浴びるが、その頃のアルゼンチンはタンゴ奏者にとっての黄金時代であった。時に1946年、陸軍大臣から副大統領を経てアルゼンチン大統領に就任したファン・ペロンは、労働組合の保護や労働者の賃上げ、女性参政権の実現、イギリス系、アメリカ系などの外資系企業の国営化、貿易の国家統制などの政策を推し進め、労働者層から圧倒的な支持を受けるようになる。ペロンは人気取りの為か、タンゴの擁護者を自認し、自ら特訓して妻であるエヴァ・ペロン(エビータ)と踊ったり、「ラジオ放送の1/3はタンゴを流すように」と命令したそうである。

ペロンの政策は工業化と都市化を促す。都市部での中産階級は音楽などの文化消費の重要な受け皿となった。

1951年、ウーゴの初レコード前に、アルゼンチン初のテレビ局、Canal7が開局する。独裁者ペロンとその妻エビータがプロパガンダの武器としてテレビ放送を強く推進した。その後テレビ放送は徐々に国民の間に広まってゆき、新しい娯楽として受け入れられていった。もちろん様々なミュージシャンがテレビを通じて演奏する姿を、音楽を提供していった。

当時すでにラジオ・ベルグラノで仕事をしていたウーゴにもすぐに声がかかる。写真は1951とあるからテレビ放送開始直後である。ハーモニカという珍しい楽器というのも幸いしたのかもしれないし、映像として面白いキャラクターだったのかもしれない。

テレビ・デビュー、レコード・デビューと続けざまに果たし、1953年(ウーゴ27歳)、早くもヨーロッパツアーに旅立つ。